「すき家」から学ぶブラック企業批判の正体
どうも!
今日は「すき家」が図らずも提示したブラック企業批判の正体について考えたいと思います。
企業努力と批判
すき家が行っていた企業努力、それはワンオペと呼ばれる手法です。
すき家が開発した早朝や深夜の時間帯に従業員が一人で店舗を運営するという手法。
これは冷静に考えると、これは凄い仕組みです。このワンオペを可能にすることによって我々は「24時間、低価格、豊富なメニュー」というすき家の恩恵を受けることが出来ていたのです。
これを企業努力と言わずして何と言うのでしょうか? もちろん、そこで働いていた従業員の方は大変な苦労をされていたと思います。すき家はこのワンオペをもっと上手にやる方法を真剣に考えるべきでした。
結果として「すき家強盗」や「牛すき鍋定食」による過剰な負担増によって、ワンオペは事実上、崩壊しました。
そしてワンオペという武器を捨てる決断をしたすき家は一気に赤字へと転落しました。 ここに来て私たちは、すき家はワンオペを「止めなかった」のではなく「止められなかった」のだという事実に初めて気づいたのです。
ブラック企業批判の正体
ワンオペが批判される過程で、すき家を率いるゼンショーはブラック企業だという批判を受けました。
強盗問題にも、過剰な負担増にも対処することなく、結果的に従業員が逃げ出したのだから当然でしょう。
しかし、私たちはブラック企業を批判することについて考える必要があります。
「ブラック企業を批判する」ということは「誰のための何のための批判なのか」ということです。
マクドナルドがハンバーガーを60円にした時も、吉野家が牛丼を250円にした時も、私たちは、その企業努力を賞賛してきました。その価格でも利益を出せる仕組みを尊敬し、恩恵を授かってきました。
その際に、そこで働く従業員の待遇について考えたでしょうか?おそらくはノーです。 しかし、最近は次のような意見を多く見かけます。
「あそこはブラック企業だから、あそこの製品は買わない」
この批判の正体は何でしょうか?
この批判からは「ブラック企業で働く従業員への同情」と「従業員を酷使して儲けるブラック企業への怒り」という感情を読み取れます。
しかし、この感情は矛盾を含んでいます。本来「従業員=企業」であるからです。企業が儲けなければ、従業員は職を失います。
私が考えるブラック企業批判の正体、それは「自己投影」です。
働いている人のほとんどが自分の仕事に「ブラックな不満」を抱えています。
「ブラックな不満」を抱えながらも「従業員として従っている自分」がいます。
そのような時に「ブラック企業」が目に入ると「自己投影」をして、「利害とは関係なく」批判をしてしまうのだと私は考えます。
そして、このような「ブラック企業批判」が社会全体の問題になったということは、「日本人の労働観」が変化した証ではないでしょうか?
「仕事=人生」「仕事=辛くて当たり前」という古い労働観から抜け出す時が来ているのでないでしょうか?
私はブラック企業が今すぐ全て無くなるべきだとは思いません。ただ従業員を酷使しないと利益が出ないビジネスモデルは批判されるべきです。企業は従業員あってのものだからです。
しかし、従業員を大切にしつつ、利益を上げることは簡単でないのも事実です。私たちはそのような企業の取り組みに対して、コストを払う覚悟があるかについて、真剣に考える時が来ているのだと思います。
「従業員を大切にするために値上げします。」と企業が言ったら、あなたは賛同出来ますか?
最後まで読んで下さった方に心より感謝を申し上げます。
それでは!