仕事に悩んだら、フリハク。

自由な働き方・生き方を考えるブログ

欲しがらず与える人。与えずに欲しがる人。

 

小雨の東京、自宅より

 

 この間の金曜日、前職の会社で同期だった友人と会って酒を飲んだ。とはいえ、その友人は僕よりもさきに会社を辞めたので、おたがい同じ会社を辞めた同士だ。彼は今、全く違う仕事をしていて、それはそれで大変そうであった。しかし、彼は自分の人生を自分で切り拓くために、その仕事を選んだ。だから、応援したいと思う。

 友人と一口に言っても、その関係性というのは様々だ。意気投合した人もいれば、何となく一緒にいた人もいる。今回、一緒に飲んだ彼は、「尊敬できる友人」と呼ぶべきだろうか。僕に無いものを持っている。僕にはできないことをしようとしている。

 ただ、たぶんだけど僕と彼を入替えても同じことが言えるのだと思う。だから、おたがいに会社を辞めた後でも会おうとなる。会えば、何か与えられるものや、得られるものがあるような気がするからだろう。

 友人をはじめとする信頼関係は、「与えること」が何よりも重要だ。僕が良い友人に恵まれたのも、与えることを惜しまなかったおかげのように思う。(もちろん、受け取ってくれた友人たちに感謝しているけれど。) 逆に考えれば、与えず欲しがるばかりの人には、誰も集まらないということだ。

 こんなことを書くと「お前は、人に与えられるような大層なものを持ってるのか?」と思われるかもしれない。それは誤解だ。重要なのは与えるという行為であって、その質が良いとか、悪いとか、そういうことは関係ない。

 昨日は、地元の古い友人に会った。会うなり「この二日間で14万負けた・・・」とギャンブルの話を聞かされた。本当にどうしようもないヤツだ。そいつは結婚していて、月のお小遣いが1万5千円らしい。悲壮感が漂う表情に、その場にいたみんなが爆笑していた。他にも別の友人は「今の仕事がどれくらいクソか」について熱く語ってくれた。全く役に立たない話だけど、そいつのクソみたいな失敗談にみんなが笑顔になった。

 僕が好きな本には大抵「まず与えよ」と書いてある。その通りだと思う。与えようと努力すれば、誰かがやってきてくれる。もちろん、もらうだけもらって去っていく人もいるかもしれない。それでも与えることを止める必要はない。与え続けていけば、必ず良い人と巡り会える。そう信じるべきだと思う。

 だから、これを読むあなたにも、何かをあげられればうれしい。

 そして、あげられたと思えるまで、続けていきたいと思う。