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Facebookがもたらしたのは「人類補完計画」だった

今回はちょっと長い話をします。

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photo by dkalo

Facebookはお好きですか?

 Facebookについて、みなさんはどう思っていますか?好きですか?それとも嫌いですか?私は最初、Facebookを拒絶しておりました。なぜなら、私がインターネットを始めた頃というのは2ちゃんねるの全盛時代で、インターネットとは匿名が常識だったからです。つまり、実名のインターネットなんて怖くて使えないよ!というのが拒絶の理由でした。他にも私と同じように考えている方もいるんじゃないでしょうか。

Facebookはもう排除できない

 私の拒絶とは裏腹に、Facebookを筆頭とした実名インターネットは社会の中に入り込んできました。便利と実害の天秤は、便利の方に傾いたのでしょう。Facebookは、古い友人との再会を可能にしてくれました。わざわざ電話して「最近どうしてるの?」と聞かなくても知人の近況を知らせてくれます。さらには、ビジネスや趣味などを通じたいろいろな交流も、匿名と比べてはるかに安全にできるようになりました。今から実名のネット社会を排除するのは難しいでしょう。

Facebookは人々を教育する

 しかしながら、社会に新しいものが入ってくる時は、少なからず混乱が生じるものです。私たちの社会は、実名ネット社会における「正しい社会人」となる術を、代償を支払いながら学ぶことになりました。飲食店の冷蔵庫の中に入って写真を撮ってはいけないし、未成年者は飲酒や喫煙を自慢してはいけません。ネットには怖い怖い調べ屋の人がいるのです。それを知ることによって、私たちは日々、実名ネット社会での立ち振舞を教育されていると言えるかもしれません。

Facebookは人類を進化させた

 実名インターネットは我々を教育しました。その教育を乗り越え、実名ネット社会を手に入れることで人類は進化したのです。この進化に耐えられない人は、実名インターネットから去っていきました。「今まで通りが良い。」そういう人々がいるのは当然のことです。実名ネット社会が人類の進化だと言うと、反論したい人はたくさんいるでしょう。確かに実名ネット社会の実害は、例を挙げればキリが無いかもしれません。対処しなければならない問題、定めるべき法律は盛り沢山です。それでも私は実名ネット社会は、人類の進化だと考えますし、現に今の社会は、実名ネット社会を選択しました。なぜなら、実名ネット社会には大きな財産があったからです。大きな財産とは「ゆるいつながり」です。

Facebookがもたらした財産

 実名ネット社会によってもたらされた「ゆるいつながり」。それはお互いに干渉の少ない快適な人間関係のことです。Facebookで焼き肉を食べたという投稿があっても、あなたには焼き肉に関する建設的な意見も知恵も、求められていません。ただ「いいね!」というボタンを押すだけで良いのです。何か困ったことがあったら、友達のLINEのグループに書くこともできます。暇な誰かが答えてくれるでしょう。「ゆるいつながり」を手に入れる前は、友人や知人に何かを伝える際には、相手の時間や都合を考える必要がありました。実名ネット社会ではそんなことを考える必要はありません。ただ投稿すれば良いのです。良いことはみんなで共有し、悩みはみんなで考えれば良いのです。そこに強い強制力は存在しないですし、実生活に大きな干渉もありません。(もしもあるとしたら、使い方を間違えています!)

Facebookが解決したもの

 私たちが手に入れた「ゆるいつながり」は、ある大きな問題を解決しました。それは「ヤマアラシのジレンマ」と呼ばれる問題です。ピンとくる方は、これでもう私が何を言いたいのか分かったと思います。分からない方は、もう少々お付き合いください。

 ヤマアラシのジレンマとはこのようなものです。

ヤマアラシのジレンマ

「自己の自立」と「相手との一体感」という2つの欲求によるジレンマ。寒空にいる2匹のヤマアラシがお互いに身を寄せ合って暖め合いたいが、針が刺さるので近づけないというもの  ーWikipediaより

 簡単に言えば、「人との適切な距離の取り方の悩み」ということになります。FacebookやLINEが無かった頃、私たちは人との距離の取り方について悩みを抱えていました。人と離れすぎては孤独だし寂しい。かといって人と近すぎては干渉したりされたり面倒だ。自分にとって適切な人との距離とは、どのようなものだろう?という悩みです。実は、このヤマアラシのジレンマをテーマとして、社会現象を巻き起こしたのが「新世紀エヴァンゲリオン」だったのです。

エヴァンゲリオンに関する補足

 知らない方のためにエヴァンゲリオンについて少し解説します。エヴァンゲリオンの世界の中では「人類はヤマアラシのジレンマを抱える不完全な生き物だから、進化して完全な生き物になるべき」と考えている人たちがいました。そこで「人類補完計画」なるものが実行されたのです。それは何かといえば、人類に「自己の自立」を捨てさせて、人類全員を一つにしちゃえ!というものです。みんな一つになってしまえば、人との距離のことなんかで悩まなくて済みますからね。でもそれって、とってもとっても「気持ち悪い」ことだと思いませんか?知らないオッサンの思考が流れこんでくるなんて想像したくないですよね。だから主人公も最終的には「やっぱ無理」となったというお話です。

この記事のまとめ

 長くて読む気がしなかった人はこの段落だけ読んで下さい。話をまとめます。Facebookが行った実名インターネット社会の構築は、私たちに「ゆるいつながり」をもたらしました。それによって「ヤマアラシのジレンマ問題」という「人との距離の取り方」に関する悩みを古いものにしました。結果的にFacebookが行ったことは、エヴァンゲリオンがテーマとした人類補完計画、そのものになったのです。実名ネット社会では、その気になれば知らない日本人とも、外国人とも、果ては「ISIL」とも「友達」になることができます。まさにエヴァでいうところの「ねぇ、わたしと一つにならない?」を実現したと言えるのではないでしょうか。

実名ネットは人類の進化か?

 最後に。ただFacebookが行った人類補完計画によって、人類の問題が無くなったかといえばそれは別の議論です。少なくとも私は、快適なコミュニケーション社会になったなぁと感じています。言いたいことは発信できるし、見たい人だけ見ればいいというスタンスを取れますからね。また逆も然りで、見たいもの、応えたいものに反応すれば良いというのは楽だなぁと思っています。

あなたは、実名ネット社会は、人類の進化だと思いますか?

それとも退化だと思いますか?